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福沢諭吉はなぜ「学びをすすめる」のか【学問のすすめ】をわかりやすく紹介

福沢諭吉の『学問のすすめ』といえば、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」というフレーズが有名ですよね。

これは、「人は皆平等である」というメッセージです。では、彼がこの本で伝えたかったことは「平等」ということなのでしょうか・・・

どうやら、それはあくまで一つのメッセージでしかないようです。

今回のテーマは、「学問のすすめ」。福沢諭吉はなぜ「学びをすすめる」のでしょうか。

学問とは「知識を活かして経験を積むこと」

福沢諭吉

(1835~1901:江戸時代末期~明治時代)

慶応義塾の創設者であり、現在の1万円札の “顔” として採用されている(2024年まで)。

蘭学(オランダの学問)をはじめ、さまざまな学問を学び、アメリカやヨーロッパへの使節団に参加。

1872年から1876年にかけて、『学問のすすめ』を出版。

Photo: Fukuzawa in 1891. (Public Domain)

まず、『学問のすすめ』の「学問」とは何のことを指すのでしょうか。

福沢諭吉が言う「学問」とは、「実学」のこと。

実学とは、実生活に役立つ知識のことです。教科で言えば、国語や算数、物理、地理、歴史、経済、倫理など。

そして学問とは、単に教科書を読んで「知識を詰め込む」ことではなく、学んだことを日常生活で使って「経験をしていく」ことなのだといいます。

では、そもそもなぜ学問が必要なのでしょうか。

人は「自立するため」に学びが必要

あなたはこう思ったことはありませんか? ー 「何のために勉強するんだろう?!」

  • テストの点数を上げるため?
  • いい学校に入るため?

福沢諭吉は「自己の独立」、つまり自立のために学問が必要なのだと言っています。

自立とは、他人に依存することなく、主体的に生きていくということ。

何か困ったことがあったときに、自分の力で解決しようという気持ちがなければ、他人に頼ってばかりになってしまいます。

他人に頼ってばかりいると、やがては自分自身を見失い、相手の顔色ばかりを伺うように。

自分の考えを持たず、他人の考えに流されてばかりでは、何が正しくて、何が間違っているのか、物事を見極める力がなくなってしまいます。

そうならないためにも、人は学び、自分で考え行動する力を養うことが大切なのだといいます。

学問は、あくまで「自立するため」の手段であり、学ぶこと自体が目的ではないということです。

人生はその人の努力によって決まる

「人は皆平等である。」

これは、今でこそ当たり前のように聞こえますが、福沢諭吉が生まれた時代はそうではありませんでした。

農民の子は農民に、商人の子は商人になるしかありません。そうでなければ、出家してお坊さんになるかです。武士においても、家来は大名に従うのみで、逆らうことなどもってのほか。

つまり、「生まれ」がすべてであって、平等な世の中ではなかったわけです。

そんな時代に、福沢諭吉は家柄の低い武士の家に生まれました。

地方大名の家来に過ぎなかった彼が、なぜ日本を代表する使節団として、アメリカやヨーロッパへ渡ることができたのでしょうか。

それは、彼がオランダ語を学び、そして、オランダ語が世界のスタンダードではないことに気づいてからは、英語を一生懸命学んでいたからです。

人生は、生まれや家柄によって決まるのではなく、その人の努力によって決まる。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり。

『学問のすすめ』福沢諭吉

学ぶことで、人は自らの人生を切り開いていけることを、彼が歩んできた人生が証明してくれているのです。

参考書籍

福沢 諭吉 (著), バラエティアートワークス (著)